「石が残っている Will is left」に寄せて

 

三枝愛が移り住んだ京都は、単に昔のものごとがたくさん残っている土地ではなく、それらを引き継ごうとする人の意志の積み重ねがさまざまに可視化された街だ。有名な清水寺では、2010年から11年間に及ぶ大改修が進んでいるが、大舞台を支える柱の腐った部分を取り除き、新しい材を継ぎ足す「根継ぎ」という作業が数年前に行われたという。同寺院が開創されたのが778年。何度かの焼失を経て現在の伽藍が再建されたのが1633年とのことだから、この根継ぎの作業も、時代を超えて何度も繰り返されてきたのだろう。21世紀を生きる私たちは、数多の時間と人の仕事のアッサンブラージュとしての清水寺、そして京都に接している。

 

 そんな土地での生活が三枝の表現にどれほどの影響を与えているのかはわからないが、ここ数年の作品には事物を保護・改修するための素材、もしくはその困難さに言及した設えが多く登場している。しいたけ農家である生家で、種菌を安定させるために使われるおが屑や蝋。人の移動の痕跡を撮影したネガフィルム。何かを納めるために誂えられた箱。石碑の銘文を転写する拓本。多くの場合、そういった周縁を枠取るものごとだけが作品に登場し、それらが守るべき対象が姿を見せることはない。例えば箱に関して言えば、骨董市や古道具店で買い求めた箱の中身はそもそも失われていて、その来歴も明らかではない。ただ、何かを残そう、守ろうとした人の意志だけが、三枝の手元に届いたのである。

 

 今回の個展は「石が残っている Will is left」という。生家が営む貸土地に残された瓦屋根のカケラ(それは以前の借主が残していったものだそうだ)を三枝は石と呼び、その来歴を、新しい時間、新しい場所に改めて固着させる試みをインスタレーション形式によって執り行うという。石と意志=Will。ストレートな言葉遊びだが、しかし、その直球さと短絡によって、作り手側の気ままな恣意性は遠ざけられる。そして同時に、「ものをつくっている」ではなく「ものを預かっている」という感覚が腑に落ちると語る作家の意志が、そこに新たに加わっていく。人から人へと石は手渡され、意志は積み重なっていくのだ。

                

【島貫泰介(美術ライター/編集者)】